労働あ・ら・かると
ウーバーの出現と「雇用によらない働き方」
一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二
「ウーバー」に普及とそれに伴う労働者性の判断を巡っての欧米の事例情報が伝えられるようになってから5年位経つように思います。「ウーバー」というのは、ウーバー・テクノロジーが運営する自動車配車アプリで、メールで依頼すると現在地までタクシーだけでなく、一般人の自動車が配車されるというサービスで、一番最初にこの話を聞いたとき、ど昭和&もろ20世紀型の筆者の発想では「ん?なんだ?Webを使った白タクあっ旋ビジネスか?」と思いました。
当然ながら日本では道路運送法という法律があり、旅客を載せて運送するには許可が必要であり、例外的にNPO法人などが自家用車を使用して身体障がい者や要介護者の移送ができるようにはなっていることは、読者の皆さんのご存知の所と思います。
「人を乗せて運送する」ことには、必ず「事故」の危険が付きまとうわけで、スキーバス、観光バスの凄惨な事故の記憶も褪めてはおらず、そのたびごとに「規制強化・行政指導の必要性」が強く言われているわけです。その観点で考えれば「どこの誰かもわからない人の運転する自動車に乗るなんて恐ろしい」ということになり、「ウーバー」がここまで世界で普及しそうな勢いになるとは思えなかった人も多かったかと思います。
「労働」の観点でこのことを考えれば、きちんとしたタクシー会社に雇用されて運転職種に従事すれば、注意をしていても完全には防げない事故に遭遇してしまったときにも「会社(雇用主)」がこれに対処してくれる安心感があるでしょうが、個人として十分な保険にも加入していなかったり、加入していたとしてもそれが「営業行為」まで保険対象になっていないかもしれない状態で「個人事業主」として「運送業務」に従事して働く立場は、実はとんでもないリスクを負っていることを考えてしまいます。
国内に目を転じれば、「ウーバー」のような形態に限らず、「雇用に拠らない働き方」についての論議が昨今随分高まってきています。経済産業省による「雇用関係によらない働き方」に関する研究会が昨年から4回にわたって開催され、今年の3月には「雇用関係によらない働き方」に関する報告書が出されていますし、厚生労働大臣が参集した識者の方々によって昨年8月まとめられた「働き方の未来2035~一人ひとりが輝くために~」という報告書にも、働き方改革によって「一億総活躍社会」が実現する近未来には「個人が、より多様な働き方ができ、企業や経営者などとの対等な契約によって、自律的に活動できる社会に大きく変わっていることだろう。企業組織自体も変容していき、企業の内と外との境界線が低くなり、独立して活動する個人も増えるという大きな構造変化が生じる。」と予測し、「狭い意味での雇用関係、雇用者だけを対象とせず、より幅広く多様な働く人を対象として再定義し、働くという活動に対して、必要な法的手当て・施策を考えることが求められる。」としています。
しかし、筆者としては、「日本経済が今後もしっかりと成長していくためには、従来の日本型雇用一本槍ではなく、兼業・副業や、フリーランサーのような、『雇用関係によらない働き方』によって、働き手ひとりひとりの能力を、最大限に引き出すことが必要」と言われると、「そんなにうまくいくか?」と、腕を組んでしまうのです。
「ウーバー」を巡っては、既に報じられているとおり、その発祥の地のカリフォルニア州をはじめとして、「ウーバーと乗客を紹介された運転手の関係は雇用か?請負か?」といった訴訟が起きています。他にも、日本では「持ち込み」と言われる自分保有のトラックを使用して運送業務を「請け負う」形態、バイク便でも自分の二輪車を持ち込んで荷台にバイク便会社の運送箱を取り付けて運送業務に従事する形態などに思いを馳せると、「請負」と称する働き方のリスクをきちんとカバーする体制なしに、「雇用によらない働き方」が拡大してしまうことに、疑問を感じざるを得ません。
その労働力を「利用」する側にとっての「雇用でない」形態を選択する動機は、「雇用に伴う社会保険等の経費を節約したい」「労働法の規制を逃れたい」ではないでしょうか。
日本の皆保険制度は世界から注目され、2000年には世界保健機関(WHO)から高く評価されたものです。国民と事業主が負担することによって成立しているこの国の制度を(それも医療費総額の膨張により危機が言われてはいますが)、「応分の負担」を逃れようとすることが、この国の良さを劣化させることになる発想には、腹立たしさを覚えます。「国民の健康が国家経済の礎」であることを忘れてはなりません。
「フリーランサー」「時間・場所・契約にとらわれない、柔軟な働き方」という耳ざわりの良い呼称、「企業と個人の関係が相互に自律的なパートナーシップに変化する」という幻想に惑わされているような気がしてならないのです。企業との関係で弱い立場に置かれる「個人」は、既存の労働法制体系でもなかなか保護しきれない現状をよく見つめなければなりません。
もしICT(情報通信技術)の発展によって、テレワーク化が進み「雇用」ではない働き方が増加してしまうのなら、今からその「雇用でない働き方」を選択する人材の方々に対する社会福祉制度を、必ず視野に入れて制度設計する必要があると思います。「労働市場でバーゲニングパワーがある労働者」など、ほんの一握りどころか極めて僅かしかいない現実を忘れないでほしいのです。
より自由で高収入を目指す動機が人材を育てる側面があることは認めますが、人間はいきものですから、必ず一定の割合で病気になったりけがをしたりする場面に遭遇する人が出てくるはずです。その不幸を横目でみて通り過ぎるのではなく、「互助」の精神を忘れずに成り立つ社会、「格差」の勝ち組でなくとも共に生きていくことができる社会を目指すのでなければ、「働き方改革」は「格差拡大改革」になってしまうのではないでしょうか。
このリスクに対処するための新たな発想での社会保険制度や、弱者保護の制度を併せて検討していかないと、今まで多くの人が企業で雇用されること、源泉徴収制度が前提で成立してきた社会保障制度の仕組みもあっと言う間に崩壊してしまうように感じて背筋が寒くなるのは私だけでしょうか。
(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)