労働あ・ら・かると
理系人材とリベラルアーツ授業
一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二
今年の初め、技術系大学でいわゆる「リベラルアーツ=教養」の企画をしているという大学教授の話を聞く機会がありました。その内容が筆者にはあまりに衝撃的だったこともあり、今回是非ご紹介したいと思います。
その教授の話によれば、最近大学に入ってくる学生は、ほんとうに受験科目しか勉強してこなくなっていると言うのです。最近の理系の学生の多くは、理系科目(物理や化学、生物)と、数学、英語に特化して勉強し、受験科目以外の知識が殆ど無い(とその教授は一刀両断に言い切っていました。)まま大学に入学してくるそうです。
その教授の世代は、理科系であっても社会科学のことを知らないと無教養を軽蔑されたそうですが、今の学生さん達はそうでなさそうです。
その教授が毎年、新入生達約200人に対して実施しているアンケートの話を聞きました。
そのアンケートの設問には次のようなことが書かれています。
「あなたはこの大学を卒業して就職し、就職先の会社の東南アジアの工場に赴任しました。その工場の廃液には、有害物質が含まれていることに気づき、下流の住民達にたくさんの死者が出ていることを発見します。あなたは工場長に掛け合いにいきますが、工場長からは『私も知っているがそれを報告したら東京から重役がやって来て、私たちは解雇される。この会社で出世しようと思ったら知らないことにするのが一番なのだ』と言われ、あなたは赴任先の工場で孤立無援になってしまいました。さてあなたはどのような行動を起こしますか?」
この問いへの答えに次のような三択があります。「(A)名前を出して告発する (B)名前を出さずにインターネットなどに匿名で情報を流す (C)何もしない 」
読者の皆さんも画面をスクロールする前に、(A)(B)(C)それぞれの答えをした人数が、新入生200人中どの位だったか、是非推測してみてください。
この話を聞いた時、筆者は(A)は1割弱、(B)が5~6割(C)が2~3割位かなと思いました。
実は、十年ほど前のアンケート結果は、回答した学生200人中(A)はほんの数名、(B)が十数人、(C)が約180人だったそうです。
筆者もこの数値を聞いてびっくりしましたが、話をしてくれた教授もほんとうに驚いたそうです。「自分の工場から流れた毒で人が死んでいるのだよ。」と教授が学生達に言うと、彼らは「先生は何を熱くなっているんだよ。」という顔を互いに見合わせていたそうです。
日本の近代の歴史には、足尾銅山鉱毒事件、イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくをはじめとした公害についての教訓があります。
また製造物責任の関連では、自動車産業だけでも、古くはラルフ・ネーダー弁護士による自動車産業の告発や、大型トレーラの左前輪が突然外れて母子3人を直撃し母親が亡くなった、リコール隠しに起因するといわれる事件も記憶に新しく、現在報道されている建設関連の免震ゴム性能偽装や、マンション基礎工事の手抜きによる傾斜事件も挙げられます。
また、人材の非違行為として、技術者の企業秘密持ち出し事件https://www.chosakai.co.jp/information/13597/も起きています。
この大学教授が力説する、これらの歴史的教訓と今起きている社会的問題を、きちんと学習することなく「技術者」として送り出すことは、日本で有数の技術系大学として許されないという姿勢には、大きく共感します。
考えてみると、このような技術系大学・大学院を出たような優秀な人の中には、その後に起こった東京電力福島原子力発電所の事故について事前にその危険性に気付いていたのに、それを言い出せなかったという方がいたのではないかとすら思ってしまうのです。
各地の原子力発電所の再稼動についても、やれ活断層があるの大丈夫だとの論議が活発ですが、このアンケートを実施している教授とは別の建築系人材の言に拠れば、現在の日本の原子力発電所の構造は「仮に地震が無かったとしても、あの屋根の強度ではミサイルが飛んできたら一発でアウト」だそうです。
技術分野の論文でも「コピー&ペースト」に眉をひそめているというのに、歴史に学ばない(知らない)技術系人材が増加したのでは、「明るい先進社会」が到来するとは思えません。また「技術者の良心」に魔がさしてしまう人を作り出さず、そういう人材が悪の道に染まってしまう職場環境を改善しようとする動きが出てくるとも思えません。暗澹たる気持ちになりました。
ただし、そのアンケートを実施している教授の話の続きに、筆者は少し救われた気持ちにもなりました。
その話というのは、東日本大震災と原子力発電所の事故が起きた直後の6月に、同じアンケートを実施した結果のことです。
この震災後のアンケート実施結果では、「(A)名前を出して告発する」が数名から30人になったそうです。「名前を出さずにインターネットなどに匿名で情報を流す」が十数人から100人に変化し、「(C)何もしない 」は180人から70人と減少したそうです。
そして、翌2012年の6月にも、同じアンケートをとったそうです。そうしたら「一時の興奮」ではないかとの懸念に反し、(A)は更に20人増えて50人となり、(B)も更に20人増えて120人、(C)は30人となったそうです。
教授は「目の前で苦しんでいる人をなんとか助けたいというボランティアの人の姿、まずは問題に対峙しようとする姿が彼らに勇気を与えたのだと思う。」「人を救うということは、それを見ながら育っていく子どもたちも救っていくのだと思いますし、ひいては日本社会も救っていくのだと思う。」と話を結びました。
「技術者を育てる教授」は、今の若者について、「彼らの大きな問題は、他人のつくってくれた『問い』は解けるけれども、自分が何を『問い』として生きるのかということがわからない。この21世紀に何を自分の使命として生きていくのか、生きるなかで何を『問い』とし、その『問い』を解決するために(技術者として)どう生きていくのかという、『問い』を発する力というのがとても落ちている。」と評し、「そして彼等は非常に権威に弱い。これは何とかしなければならない。」ということでその技術系大学での「リベラルアーツ」講座を充実させ続けていくそうです。これからその大学を巣立ち、日本と世界の技術発達に貢献するであろう若者男女たちに、少しは希望が持てると安堵しました。
以上
注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)