労働あ・ら・かると
女性労働の節目の年を迎えて
元愛知労働局長 君嶋 護男
安部内閣が「女性の活躍」を打ち出してから、女性労働を巡る議論が以前よりも活発になった感がある。この政策は、我が国の労働力人口の減少が避けられない状況を踏まえて、「とにかく女性を労働市場に引っ張り出そう」という、産業界の意向に沿った面が強いと思われ、女性にとって諸手を上げて歓迎できるか否かについて議論はあろうが、これまで様々な制約によって社会的な活動を十分に行えなかった女性にとっては、歓迎すべき状況ともいえよう。
ところで、本年(2016年)は、女性労働にとって、大きな節目となる年である。
その第一は、工場法施行100年に当たることである。工場法は、国内産業が急速な発展をみた明治時代末期、特に年少者、女性を酷使する傾向が顕著になったことから、これを改善することを目的として1911年に制定され、1916年に施行されたものである。同法は、少年工及び女工を長時間労働、深夜業及び危険有害業務から保護しようというものであり、女性労働者について具体的な保護を政策として確立した点において画期的なものであったといえよう。
第二は、男女雇用機会均等法(均等法)施行30年に当たることである。均等法は、1984年に国会に提出され、1985年6月に成立し、1986年4月に施行されたものだが、労使間の激しい対立等から、成立までに難航を極めた法律である。当初は、多くの部分が努力義務であったことから、「ざる法」などと、激しい批判を浴びたものである。その後均等法は、男女均等取扱いについて、当初の努力義務から義務ないし禁止に規制が強化され、男女双方の差別が禁止されるなど、内容の充実が図られてきた。特に、配置・昇進については、当初の努力義務が差別禁止に改正されたことにより、男女賃金差別訴訟において、大きな威力を発揮したことは、均等法の成果として評価されて然るべきであろう。
第三は、結婚退職の効力が争われた「住友セメント事件 東京地裁 1966年12月20日判決」から50年を迎えることである。この事件は、会社が女性を採用するに当たり、「結婚又は35歳に達した時は退職する」旨の念書を提出させていたところ、結婚しても退職を申し出なかった女性社員(原告)を解雇し、その有効性が争われたものである。判決では、結婚の自由を制約する労働協約、就業規則、労働契約は公序良俗違反に当たるとして、解雇を無効としている。この後、女性労働者が結婚を理由に解雇され、これを争った事例もいくつか見られるが、いずれも女性側の勝訴となっており、その意味でも同判決のインパクトの大きさが感じられる。また、この事件は、単に結婚退職制が争われたというに留まらず、女性労働に係る裁判の嚆矢ともいえる事件で、女性労働に関し、極めて大きな意義を持つものといえる。
また、今年は女性が初めて参政権を行使した日(1946年4月10日)から70年目でもあり、単に労働面だけでなく、女性の地位向上、活躍の基盤が整備された節目の年でもある。
これほど、女性労働について大きな節目である今年、女性が歩んできた近代の歴史を振り返ってみることも、真の意味で女性の活躍を促進するためには有意義なものと思われ、行政を始めとする関係者の取組みが期待される。
以上