労働あ・ら・かると
日本の雇用の品格が問われている
一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二
本稿がWeb上に掲載されるころは、新たな在留資格を設定する出入国管理法の改正を巡って、国会で活発な論議がされていることと思います。
少子高齢化社会が到来していることは紛れもない事実なわけですし、女性と高齢者のみなさんに活躍していただかなければ社会が成り立たないのは自明の理でありますが、それでも働き手が足りなければ、外国人材に頼る道を探るのは当然と言えば当然の帰結です。
もちろん展開は性急に過ぎるし、もっと前から真剣に「外国人材に日本に来てもらう」方策について正しいデータに基づいて、ヨーロッパ諸国の先例などをよく研究して論議を重ねていれば、という声に、大きく筆者はうなずくわけですが、それにしても技能実習のような「ホンネとタテマエが大きく乖離した制度」を更に拡張させるようなことは避けるべきと思います。
「労働力を求めたつもりが、やって来たのは人間だった」というのは、外国人労働力の導入をめぐる論議の中でよく引用される言葉です。
このところマスコミ報道で目立つのは「失踪する外国人労働者」の記事ですが、外国人技能実習生の記事を目にするたびに筆者が思い出すのは、東日本大震災の時、宮城県石巻市女川町で、中国人実習生を神社や高台に優先的に避難させ、自らは津波の犠牲になった複数の水産加工会社の社長や専務のエピソードです。加工会社それぞれ、20人、15人などと報道されましたが、時には日本的雇用の欠点として指摘されることもある「家族的雇用」ですが、大災害の際には「人間愛」として「息子・娘のように思って働いてもらっていた心」が発揮された場面ではなかったでしょうか。
更に心を打つのは、助かって一旦は帰国した中国人技能実習生が、全員ではないにしろ1年後再来日して「命の恩人である専務にどうやって恩返しすればいいのか、ずっと考えていた。それで、今被災地復興で最も必要なのは『労働力』であると考え、戻って働かなければと思った。」と話していたことです。
「ジョブ型雇用」の時代が到来しようとしている今、その必要性を痛感している一方で、「労働は商品ではない」というフィラデルフィア宣言(「国際労働機関」の基本方針を謳った宣言)の言葉が脳裏に浮かびます。「人間自らが提供できるものは労働」という心のこもった言葉を「井戸を掘った人の恩は忘れない」ということわざを持つ中国の人びとの口から聞くと、「心ある雇用」の大切さを再認識させられます。
震災で九死に一生を得た雇用主のおひとりも、その後「私たちは以前、往々にして中国人研修生を労働力としか見ていなかった。でも今後は、自分の家族、恩人として接さなければならない。」とコメントをしている記事を見ると、ますますその思いを強く持ちます
人材送り出し国の悪い人たちが悪い日本人と結託して、善良な知識の十分でない自国民をどのように日本に送り出しているのかを把握して排除し、健全な受け入れの仕組みを運営しなければ、外国人材受け入れは座礁してしまいます。それには日本から送り出し国の人びとに対して、もっともっと適切正確な情報発信をしなければなりません。送り出し国でも急速にスマホが普及していますから、インチキなブローカーを経ずに、直接海外に働きに出ようかと考えている人びとの手元に届く信頼できる情報発信が求められています。
日本人を雇用するにしろ、外国人材を雇用するにしろ、ルールを守って人材に寄り添い働いてもらうことが大切です。それ以前に「人間を雇って働いてもらっている」という心がなければなりません。
「昭和の時代の出稼ぎ」の歴史を学び、21世紀、一割を超える外国人労働者が居るドイツにおいてどのような問題が起きているのか、地続きの国からやってくるとはいえ言葉の壁もあるだろう外国人材のいる社会をどのように運営しているのか、遅きに失すると言っていても仕方ないので、もっと過去の歴史と先行国の教訓を学び、「外国人材に『選ばれる』日本」を実現できれば、この国の未来図が見えてくるはずです。
(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)