労働あ・ら・かると
テレワークは本格的な議論の段階に
日本生産性本部参与 武蔵大学客員教授 北浦 正行
やっとテレワークについて落ち着いた議論ができそうだ。これまでは、何かというとテレワークで「3密」が防止できたとか、通勤による混雑とも無縁になって時間のゆとりができたというような、メリットを享受できたという感想や意見が巷にあふれていた。政府や自治体も盛んにメッセージを出して、当面の雇用危機は雇用調整金とテレワークで万全だと言い切らんばかりである。しかも、「新しい生活様式」の典型とまで言われるようになった。
確かにテレワークの効用は大きい。これからの時代の柔軟な働き方として大いに推進すべきことは言わずもがなである。しかし、本格的な議論をしていくためには、冷静に実態を見て、問題点も含めてきちんとした検討が必要だ。やみくもに推進して本格的な導入時に戸惑ってしまえば元の木阿弥だろう。拙速な議論になりがちだ。
そもそも今回のテレワーク普及には、外出自粛の中での「強制自宅待機」的な様相が強い。大企業では、既にテレワークが勤務スタイルとして定着した会社やBCPに位置づけ危機管理対応の施策となっている会社も多い。こうした会社では、マニュアルやルールも整備され、自宅で設備等の配慮、ネットワークやセキュリティ等への対策、社員への教育などが準備され、「玄人テレワーカー」も育ってきている。これに対し、中小企業などでは「いきなりテレワーク」といった会社も多く、「通勤がなくて楽だからよい」といった歓迎論も当然多い一方、働く側自身からもこれでは仕事にならず「事実上の自宅待機状態」だとか、「風呂敷残業」と変わらないといった自戒の念も聞かれる。
経営者はもっと厳しい。経団連も推進しており、大企業は横並びで導入定着への動きが速いが、成果主義型の人事改革や社内の要員合理化、オフィスコストの削減など経営課題の対処も絡んでいることも少なくないようだ。管理者にとっては、「顔が見えないので本当に仕事をしているか疑心暗鬼になる」とか、「対面でないとお客さんの納得が得にくい」といった声も聞く。しかしそこで勤務管理は厳しくといって、頻繁にメール確認したりオンライン会議を招集したりするような、あまりに締め付けが厳しいのはハラスメントだというわけで「テレハラ」とか「リモハラ」という新語も登場した。
問題は、テレワークに対する正しい認識だ。緊急措置であるBCPで行う場合と、平常状態で導入を図る場合との違いを理解することである。基本は、テレワーク出来ない人、なじまない仕事の人もいることはもちろんだが、マザーオフィスである企業・事業所全体の業務フローの見直しや社内でのICT活用度を高めることが不可欠だということだ。企業・事業所内の改革なしに現場だけで進めれば、必ずギャップが生じるのはこれまでの教訓である。
働く側からは、テレワークは仕事と子育ての両立など、ワークライフバランスを支援してくれるものだという声もあり評価は高い。それも事実であり有力な導入の動機であるが、経営の立場からいえば、経営効率の向上など経営管理の施策として位置づけることが重要である。
それゆえ、自宅が事業所としての執務環境をきちんと整えているかが問題となる。既に労災の問題が出ているが、これに限らず、長時間のPC活用による健康障害やメンタルヘルスなどの心配もある。だから労働衛生管理が大事だということは経団連もガイドラインで強く要請しているところだ。業務管理としても、「中抜け、後出し」など時間管理をどうするか、PC・通信機器等のセキュリティやトラブルシューティングはどうか、報告・連絡・相談がZOOMなどによる非接触型の対応で十分か、など課題は山積している。
また、テレワーカー自身の課題もある。必要な技術の知識・ノウハウなどを持つと同時に、運用面でのトレーニングによる学習はもちろん、自律的な仕事の遂行と自己管理ができる人材であること求められる。執務できる個室がないなどそもそも自宅が環境として問題がないかということもあろう。米国などでは、こうした条件がクリアできるかどうかでテレワークさせるかの選別をしている例があるとも聞く。
このほかにも考えるべき点は多いが、最も重要なのは、テレワークは「柔軟な働き方」の一つの選択肢だということである。オフピーク通勤、フレックスタイム、裁量労働、シフト選択などそのほかにも多くの選択肢がある。テレワークの推進ムードに走り過ぎず、これらと合わせた総合的な取組みとして検討することが重要ではないだろうか。