インフォメーション

労働あ・ら・かると

落語『時そば』から学ぶ、今どき労務の勘所

社会保険労務士 川越雄一

「今何時(なんどき)だい」といえば、落語の演目で有名な『時そば』です。ある男が蕎麦代を一文ごまかすのを見ていた別の男がそれを真似するも、かえって余計に払わされたというオチです。労務においても、他社のやっていることを都合よく聞いて、自社で真似するも前提条件が違うものだから、かえって滅茶苦茶になってしまうのとよく似ています。

 

1.落語『時そば』とは
落語ファンではなくても一度くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。「今、何時だい」「へい、九つでぃ」というやつです。噺(はなし)に出てくる時刻の九つは今の24時、四つは22時頃のようです。

●どんな噺なのか
 ある男・Aが、夜鳴き蕎麦屋を相手に、屋号、器、蕎麦、味などをトコトンほめながら、勘定時に十六文(今でいうと300円程度)の代金を一文ごまかします。それを見ていた別の男・Bがそれを真似しようと、翌日同じように夜鳴き蕎麦屋をほめるもことごとく空振り、挙句には一文ごまかすつもりが四文多く払う羽目になったというものです。

●一文ごまかした手口
男・Aは、時刻と蕎麦代を混在させる手口を使います。勘定時に、代金を「ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、や」と一文銭で払います。そして「今何時だい」と尋ね、蕎麦屋が「へい、九つでぃ」と答えると、すかさず「九つか、とお、十一、十二……十六」と言いながら一文飛ばして十五文しか払わずに行ってしまうのです。

●なぜ男・Bは四文多く払う羽目になったのか
まず、男・Bが呼び止めた蕎麦屋は、前の晩に男・Aが呼び止めた蕎麦屋とは全く違っていたということです。なのに同じ言葉でほめるものだから会話がチグハグになっています。また、時間帯が違っていたことが致命傷です。「ひい、ふう、みい、のところで時刻を尋ねれば成功していたのかもしれませんね。

 

2.『時そば』的な失敗は今どきの労務にもよくある
『時そば』の面白みは、蕎麦屋との掛け合いと勘定の場面です。いずれも、たまたま成功した男・Aがやっていたことをそのまま真似したばかりに失敗したわけですが、今どきの労務にもよくあることです。

●課長・部長にして残業代を払わずに済ませようとするも……
同業者や取引先から「課長や部長には残業代を出していない」と聞けば、自社でもそうしたくなります。そこで、従業員30人足らずの会社に、すごい肩書が生まれます。もちろん、労働基準法に定める管理監督者であれば良いのですが、中小企業でその適用要件を満たすことはほとんどありません。

●成果主義賃金っぽい制度を導入するも・・・・・・
同業者や取引先から「成果主義賃金制度を導入した」と聞けば、自社でも導入したくなります。そこで、他社から伝え聞いた、職能給、成果給などと、それっぽい名称の手当をつけたりしてます。しかし、そもそも前提となる評価基準もなければ、従業員に納得感はなく、「また、社長の思いつきが始まった」と社内はあきらめモードです。

●採用後にあれ出せ、これ出せと指示するものの……
同業者や取引先から 「採用時にこんな書類を提出してもらっていて助かった」と聞けば、自社でも提出させようということになります。しかし、求人や面接などの採用過程で一言も触れていないような書類を、採用後にいきなり言われても従業員としては「今頃になって、何ですか」と会社に対して不信感を持つばかりです。

 

3.『時そば』の失敗を労務に生かす3つの視点
『時そば』の失敗原因は主に3つあると思いますが、それは今どきの労務に活かせる視点でもあります。自社の現状認識、従業員とキチンと向き合う、そしてタイミングを見極めることです。

●自社の現状を客観的に認識する
『時そば』に出てくる蕎麦屋は初日と二日目でまったく違いました。労務においても他社と自社では規模、責任と権限、処遇のレベル、労使関係の安定度などが違います。ですから、まずは自社の現状を客観的に認識することが必要です。同業者や取引先からの評価はお付き合いの関係上、客観性に乏しくなりやすいものです。

●現状に合った対応をする
『時そば』で失敗した男・Bは蕎麦屋をほめる視点が前夜の男・Aと同じでした。労務においても、自社の現状レベルに応じた対応が重要です。賃金支払いにおいても、まずは法律上払うべきものをキチンと払うことが重要です。それもなしに、成果主義賃金云々いったところで、所詮は砂上の楼閣(ろうかく)です。

●タイミングをつかむ
『時そば』のオチは「今何時だい」と、時刻を尋ねるタイミングが肝です。労務においてもタイミングというか間(ま)は重要であり、たとえ有用なことであっても、いわゆる後出しジャンケン的に行ってもうまくいきません。ですから、基本的に従業員本人に関係のあることは前もって伝えることが重要です。少々厳しいことでも前もって伝えると抵抗が少なくなります。

秋も深まり、温かい蕎麦が恋しくなる季節になりました。今夜あたり、江戸時代に思いをはせ、勘定時に「今何時だい」と尋ねてみたいところですが、今は電子マネ―で「ピッ」と終わりです。