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車内広告「運転士になれる絵本」をみて

一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

今年の8月11日からの一週間は、山の日もお盆も並ぶ暦のためか、通勤電車が空いていましたね。
通勤時でも珍しく座れる地下鉄車内で、筆者が子供だった頃は地下鉄銀座線の照明が駅の寸前で瞬間的に点滅した白熱球のことを思い浮かべ、もうすぐ製造中止となる水銀を使用した蛍光灯も姿を消していくのだろうとLED灯の明るさを眺めていました。
徐々に生産量を減らしている蛍光灯の製造工場の労働者の方々の職務転換はスムーズに実施されているのかしらとも想いめぐらし、他の乗客の方々はほぼ全員手元のスマホの操作に集中している中、新聞を縦に細長く折りたたんで混雑の中新聞を読む光景はもう過去のものになったとも思い、時代の変化を噛みしめながら、掲示されている車内広告を見まわしました。

新しい車両では、車内広告もLED画面で動画になっている昨今ですが、目に留まったのは紙に印刷された「運転士になれる絵本」の広告でした。
鉄道ファンを増やし、将来の鉄道に就職を希望する人材を今から育てておこうという魂胆なのかもしれないと、筆者のイジワル爺心猜疑心もむずむずします。

昭和世代の読者の方々の中には、駄菓子屋で電車(列車?)の硬券と鋏のおもちゃをねだった記憶がある方もいらっしゃるでしょうが、現代の子供たちは硬券もそれに鋏を入れる改札係も見たことはないでしょうね。
「乗り鉄」の方々は、改札鋏(かいさつばさみ、かいさつきょう)がどんなものかよくご存じでしょうが、あの鋏の切れ込みが入場駅を判読する機能があることを頭では知っていても実際の場面を知る世代が減っていくのも時代の移り変わりというものでしょう。
絵本の広告の電車の絵の運転席には子供が描かれていますが、いつまで人が電車の運転を車両の運転席に座って操作操縦する時代が持続するのでしょうか。
すでに何十年も前から、東京お台場の「ゆりかもめ」や神戸のポートライナーをはじめとした交通機関では、その先頭運転台には運転士は乗車しておらず、中央制御室からの遠隔操作によって運行されています。
地下鉄のワンマン運転も広がるようですから、「[088-01]車掌」は職業分類の中からいずれ消えゆく職種なのでしょうし、「[042-01]駅務員」の仕事も入鋏業務がなくなり、遠隔インターホンで乗客の質問に答える時代ですから、その仕事内容はすでに大きく変化しています。(数字は第5回改定 厚生労働省編職業分類。以下同じ)

この広告の絵本は「カスタマイズ」できるのだそうで(広告にはそんなことは記載されていませんでしたが、筆者は早速自分のスマホで検索してみたのです。)、子供の名前を入れたり、子供のイラストや運転する路線を選べたり、写真やメッセージを入れることもできる個別オーダーメードのようです。これも技術進歩のひとつなのでしょう。
「絵本の中で運転士のお仕事を体験しちゃおう!」というキャッチフレーズで自分の名前が入った絵本が届くのですから、多少高価でもジジババの財布も緩もうというものです。
でも、この絵本を楽しむ今の子供たちが大人になったとき、運転士の仕事はこの絵本に描かれるような内容・光景なのでしょうか?
車両の先頭に人間が座って操縦する姿は、「いずれ」ではなく「すでに」変化の兆しが見えはじめていて、物心ついたころから家庭用ゲームコントローラーに親しんだ子供たちが大人になるころには、「運転士の職場の光景」は大きく変わっていることでしょう。今運転台に座っている運転士の方々も、その運転技術の神髄を保持しつつ、ブレーキハンドルではない操作盤によって電車を運転する時代に備えているとも聞きます。
「電車の運転が好き」という心を持ち続けながら、新しいテクノロジーに適応することができる姿を思い浮かべると、この職業の未来の変化も明るく見えてきます。

一方で八月のこの時期は改めて平和を祈念する季節でもあります。しかし、数年前には思いもよらなかった「世界各所での大規模な戦争の時代」という現実が到来してしまっています。
とある国の軍人が、「国内のすべての高校生にドローンの操縦を教えるべし」と主張していると聞きました。徴兵してから武器の扱いを教えるよりずっと「強い国家・強い軍隊」を創ることができるということです。
以前職業分類の改訂にかかわった時に、「ドローンの操作は、[大分類13配送・輸送・機械運転の職業]なのだろうけれど、[087-04]航空機の操縦とはイメージが違うし、[088-99]他に分類されない輸送の職業なのだろうか、[大分類 15]運搬・清掃・包装・選別等の職業に該当する可能性はないだろうか」と自問自答した記憶もよみがえります。

ITの進歩による「働く光景」の大きな変化を、通勤途上に改めて想いめぐらす車内ですが、平時の民生技術が戦時の戦闘殺傷技術にあっという間に転じてしまうことを、平和を誓った戦争終結の日にスマホで見るというのも憂鬱な気分、複雑な心境になってしまう筆者の夏です。

以上

(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)