労働あ・ら・かると
今月のテーマ(2012年04月 その2)適切な採用選考ができない求人企業
新卒の学生さんの就職活動も一段落ついた頃と思います。3年生は実質決まったとか、厳しいという報道があります。採用のプロセスを伺うと、そのなかで、それは差別ではないかと思われる事例を聞くことがあり、大変残念です。人を雇うということについての思い込み、知識、教養の幅のなさ、無理解によるものが多いと思います。
私が就職活動をしたのは40年も前のことですが、私は銀行を受けようと思って書類をもって採用担当を訪問しました。当時の応募提出書類には「家族欄」という項目がありました。そのため、父親がいないというだけで書類を受け付けてくれませんでした。なかには、「父親がいない人は銀行には入れないから、無駄はやめて早く他の業界に応募した方が良い」、と親切めいて言ってくれる担当者もいました。若造だった私は、そんなものかと思いました。成績が悪くて不採用になるのならわかりますが、今にして思えば、私の能力とは関係のないところで、就職のチャンスを奪われたのだと思います。だからといって私が不幸になったということはなく、そうした差別のない企業に就職をしましたが、不快感はずっと残り、率直にいってしばらくしてからその銀行のささやかな定期預金を解約したりしました。
父親のいない人は金融機関に向かない、ということに科学的根拠はありません。そういわれてみれば、「35歳すぎても独身の男性は経理担当にはできない」という求人企業と出会ったことがあります。私は「何を言っているのですか?ならば女性ならいいんですか?根拠はどこにあるのですか?」と。この話は少し前のことです。今なら少子高齢化と晩婚化現象のなかで、そんなことを言ったら適材を採用できません。あるいは金融機関のなかで、男性と女性の比率、あるいは35歳以上の比率を調べて語っているとは思えません。単なる誤った思い込みで雇用の機会を奪ってしまうことはあってはならないことですし、そういう会社は良い人材を採用できないと改めて言いたいと思います。
求人の枠、ゲートが小さく狭くなっている時代は、それでも応募者はいるでしょうから、それで良い人を確保できたと言う採用担当者もいることでしょう。しかし、そのような発想は、中長期的にみてコンプライアンスの正しい企業を形成する人材を失います。
前回、サービス産業の経営者が人材をこきおろすことはけしからん、という話をしましたが、仕組みの教訓化、あるいは仕組みの改善ができる人材が、今は多くの企業で求められています。日本人だから、外国人だからということではないグローバルな視野を持っている人材を確保しなければ、外国人は扱いにくいといってしまったら、少子高齢化の時代に優秀な人材は確保できません。大変多い人口のなかの競争を勝ち抜いた人は、確率論としてきわめて優秀だと考えるべきで、「人材が使いにくい」というのは、実は使う側に問題がある場合が少なくありません。
最近、グローバルといいます。昔は、インターナショナルといいました。これは、ナショナルがあって、インターナショナルなわけです。日本人であるプライドを捨てる必要はありませんが、それぞれの自立性やナショナリティを尊重して、初めてインターナショナルなのです。そこをよくわからず、単にグローバルという大枠でくくってしまう危うさがあるように思います。日本人だから、外国人だからではなく、企業がその人材にどのようなことを期待するか、その期待に応えられる能力を持っていそうな人材なのかどうかという観点で、人材を採用してほしいと思います。当然のことながら、絵に描いた餅のような人材を追い求めても難しいのは当たり前です。残念なことではありますが、出身地域の差別、その他の差別は採用活動や結婚のときに未だに多く発現してしまうことは事実だと言わざるを得ません。偏見なく人材の能力を引き出し、コンプライアンスをきちんと守れる企業が発展していくことを望んでいます。
(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)
【岸健二一般社団法人 日本人材紹介事業協会相談室長】