労働あ・ら・かると
今月のテーマ(2013年3月 その2)政権交代後の社会保障政策について
2009年9月、それまで政権を担当していた自民・公明連立政府は瓦解し、民主党を主軸とする政権が誕生した。よく知られているように、彼らは「消 えた年金、消された年金」を、マスメディアをも巧みに利用して大々的に批判した。またこの時期に不祥事が重なった政府管掌(現在では協会管掌)健康保険と 公的年金を所轄する社会保険庁の解体を行った。さらに高齢者向けに設立した後期高齢者医療制度に大きな疑問を投げかけ、この名称変更と抜本的改革を唱え た。年金では、従来の年金体系を大幅に変える「最低保障年金」構想を打ち上げ、衆議院選挙に臨んだのである。こうした動きと、それまでの自民・公明連立政 権の社会保障制度運営の「だらしなさ」もあって、ついに政権交代が実現した。
政権を新たに担当した当時の厚生労働関係の大臣、政務官は、官僚の人事に介入しながらマニフェストで国民に公約したプランの実現 を図ろうとした。しかし、社会保障制度は、時々の政権が代わることによって大幅な変革が起こる、という性質のものではない。結局社会保障制度に関する基礎 的な知識の不足によって、描いていた最低保障年金の実現は実際不可能であることが次第に明らかになった。国民生活の充実を謳うマニフェスト改革の、最大の 目玉が全く動かなくなってしまったのである。さらに、廃止を唱えた後期高齢者医療制度も、よく調べれば機能的なものであり、政府にはこの制度を廃棄してこ れを凌駕しうる新たな制度の提示ができる実力がなかった。マスメディア等を動員して「煽った」国民意識の高揚で社会保障制度が大きく変化するほど、わが国 のシステムは浅薄ではなかった、ということである。この結果、「子ども手当」創設と、下野した当時の野党の児童手当復活との攻防による結果を含め、政権交 代後の3年間は社会保障に関する大幅な改革の成果が見えないまま、2012年暮れの衆議院選挙を迎えることとなった。
この成り行きに最も失望したのは、改革をひたすら願った多くの人々であろう。案の定、民主党は惨敗し、野党に転落して2009年 以前の状態に帰ったが、人々の投票行動の転換は、期待していた社会保障の改革を成し遂げられなかった政権への失望が大きな要因の一つであった。実際、この 期待から失望への人々の感情の推移をみていたのが、自民・公明の現与党である。総選挙の際、彼らはことさらに派手な「社会保障改革」を売り物にしたりはし なかった。社会保障制度改革の帰趨は、すでに開始していた「社会保障国民会議」の結論に委ねる態度を示し、基本的には2009年までの制度の仕組みを大幅 に変更するという姿勢は取らなかった。
そのことは、増加の総額が年1兆円を超える財政負担を強いる社会保障予算及び社会保障給付費等を、基本的には受容する、という姿 勢を示していることになる。医療、年金、雇用、労災、そして介護費用は、貯蓄や設備投資にではなく日々の暮らしに直結した最終消費に寄与する。社会保障の 支出は、公平性をある程度担保した富の再分配と、一般市場の活性化に影響を与えるものである。言い換えれば社会保障による給付は、直接の生活に潤いを与 え、余裕と冷静さを呼び込み、国際的にも「民度の高い」人々を生み出す源泉なのである。政権交代を通じ、われわれが得た教訓は、社会保障の改革を声高に主 張するグループに安易に迎合しないことと同時に、社会保険料をまじめに拠出してきた数多くの人々の利害を優先的に考えることであろう。
【日本大学法学部教授矢野聡】