労働あ・ら・かると
今月のテーマ(2014年02月 その3)ベトナムで17世紀グローバル日本人材の墓に参る
この1月下旬にベトナムを訪問する機会を得ました。ちょうどテト(旧正月)前の時期で、ホー・チ・ミン市タンソンニエット空港の国内線ターミナルは、帰省するベトナムの人びとであふれ返り、空港ビルに入るにも一苦労する状態でした。私の世代は、どうも「ベトナム」と聞くと、ついこの間まで戦争中だった国と思ってしまい、脳裏には「ベトナム解放戦線のテト攻勢」などという新聞の見出しが思い出されたりしてしまうのですが、出身地へのお土産と思われる荷物とそれを運ぶ人の活気あふれる空港の情景は「成長」国ならではのものでした。
今回のベトナム訪問は、贅沢にも「避寒旅行」も目的だったのですが、ベトナム中部の都市「フエ」に滞在して日頃の疲れを癒すことができました。滞在先のホテルで依頼した日本語ガイドに連れられて、周辺の観光などもし、有名な「来遠橋(らいおんばし 別名日本橋)」(1593年朱印船貿易が始まる頃の時代に日本人が建設したと伝えられ、ベトナムの青い紙幣2万ドン札の裏の図柄にも採用されている橋)も観たのですが、そのガイドに「当時の日本人のお墓に行きますか?」と薦められたので、タクシーに乗って向かうことにしました。
ホイアン市内から5分ほどの道路の脇に「Mr.Tani Yajirobei’s tomb」と石の標識があり、広い田圃の中の遠くににポツンとその墓は見えていました。
このお墓の傍らの碑には「1647年、日本の貿易商人谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)ここに眠る。」と彫られ、「言い伝えによれば、彼は江戸幕府の外国貿易禁止令に従って日本に帰国することになったが、彼はホイアンの恋人に会いたくてホイアンに戻ろうとして倒れた。この彼の墓は母国の方向 北東10度を向いている。この遺跡は17世紀にホイアンが商業港として繁栄していた当時 日本の貿易商人と当地の市民との関係が大変友好的であった事の証である。」と書かれていました。別の碑には「昭和3年西暦1928年文学博士黒坂勝美教授ノ提唱ニ基キ印度支那在留日本人一同工事監督又順化府在住中山氏ニ委嘱シ此墓所又修築ス」と(※注/順化=フエの漢字標記)とありました。
飛行機数時間で現地に到着できた私と異なり、当時、日本からベトナムへは船で40日間位かかった筈なので、この「谷弥次郎兵衛」さんの国際性に感嘆すると共に、当時の国際貿易商人のパワーに想いを馳せ、その人間臭い行動はどのようなものだったろうかと空想していると、まるでタイムスリップしたかのような錯覚にとらわれました。
ベトナムに出発する直前に、知人の商社人事担当と話す機会があったのですが、彼のボヤキは「最近の新人は、商社に入社したのに海外勤務をしたがらない。ワケわかんないです。」というものでした。「海外雄飛」という言葉がむなしく感じるほど、とにかく内向き志向が強いそうです。そういえば昨年2月に文部科学省が集計した「日本人の海外留学者数の推移」を見ても、2004年をピークに日本から海外への留学者数は2010年までに約3割減少しています。語学の学習環境は、機材やコンテンツの充実によってこの四半世紀で格段の進歩を遂げ、インターネットの発達で海外の情報がこれほど入手しやすくなっているのに、なぜそのような内向き志向が若者の中に蔓延しているのかはよく判りませんが、日本という国の最重要資源が人材であるならば、その若い人材の「縮こまり姿勢」を何とか打破して、視野を広く行動も活発であって欲しいものです。
90年近く前にも、当時フランス支配下だったベトナムに来た日本人たちが、更にその280年も前に亡くなった日本人の墓に感激し、歴史学者でありエスペランティストであった黒坂東京帝国大学教授の提唱で修復したということの奥に、「日本を離れて活躍した人材への共鳴」=グローバルな心意気への共感があったであろうことを想い、また400年近く昔であっても、おそらくは荒波を乗り越えて銀や銅銭、日本の陶器などを輸出し、生糸や絹の輸入にたずさわったであろう「谷弥次郎兵衛」さんが、赴任地の市民との友好関係を築いたということは、その時代のグローバル人材だったのではないかと想像をふくらませることができ、とても有意義なベトナム訪問でした。
しかし、ベトナムから帰国して我が国外交や人材育成の現状を見ると、どうも視野が自分中心で、一方的に自己主張をする風潮を感じてしまい、“自己を確立しつつ相手の立場を理解する”基本が薄れ、グローバルな発想からどんどん離れているような目眩に襲われてしまって気分が沈みます。
一方、それでもソチオリンピックでの日本の若い世代の活躍をみると、この世代のグローバル人材が、かつてのように活発に海外に進出し、活躍する予感が垣間見れて、期待をふくらませているところです。
(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)
【岸 健二 一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長】