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「支度金付き求人」について

一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二

 企業の求人意欲の回復と共に、最近の求人広告はWeb上の求人サイト掲載件数がずっと続伸していると聞くので、様々な求人サイトを眺めてみていたら、目に留まったのは「支度金を含む転職・求人情報ページ」「支度金の有る求人はこちら」といった表示やページです。

 一昔前ですが、サーチ・スカウト型人材紹介の世界では、MBA(経営学修士)保有者をスカウトしようとすると、人材から「とても素晴らしい企業からの魅力的なお話ですが、今転職すると、MBA取得の際の留学費用を返済しなければならないのです。」と言われる事例が多かったと聞きます。
 裁判例でも、長谷工コーポレーション事件(東京地裁平成9年5月26日)のように、自社の社員を海外留学させるときに留学費用を人材に貸付ける形式をとり、帰国後一定期間勤続した場合にその返還を免除するという制度の場合は、労働契約とは切り離された免除特約付金銭消費貸借契約にあたるとみなされ、労基法16条(賠償予定の禁止)には違反しない(だから請求できる)という判断がいくつか見られることから、このような方法で人材の転職防止策がとられていることが伺えます。
 しかし、スカウトを依頼する側がぞっこん惚れ込んだ優秀人材の場合、スカウト依頼企業が「それなら、その留学費返済金額を当社が負担して、支度金という形で支給しましょう。」と申し出て、確保したい人材の転職を促す事例もあったと聞きます。
 当時、このような支度金支給について「札ビラで顔を叩いてスカウトする下品なやり方」という非難の声も無くはありませんでしたが、他方「金を貸し付けて隷属を強要するやり方」と、スカウトされる側の手法にも眉をひそめる向きもいたと記憶しています。

 昨今は、医療空白地への、医師や看護師さんの転職再就職あっせんを扱う人材紹介会社から、「転職にあたって、求人医療機関に移転費用を負担していただけない場合、紹介会社がその引越し代金を負担することは何か法に触れるでしょうか?」というご質問を受けることがあります。
 求人者や職業紹介事業者が、人材採用、転職にあたって「支度金」を用意するのは、どのような背景事情があるのでしょうか? その背景事情によって、その手法が非難される場合、されない場合に分かれると思います。
 人材をスカウトされた側が「お金でウチの社員を騙して引き抜いた。」と息巻く事例も少なくありませんが、冷静に考えてみると「いい大人がそんな簡単に騙されるのだろうか?」という疑問にも突き当ります。多くの転職事例、とりわけ在職中に転職活動(そのきっかけをスカウト型人材会社からの誘いがあった事例を含めて)を行う場合、今在職している企業の待遇や将来性と、転職先の賃金労働条件と先行きの希望を、慎重に比較して人材は転職を(あるいは現在の所属企業での勤務継続を)決断しているわけですし、「良い人材スカウト」は、転職を強要するのではなくその判断にあたって冷静なデータを提供して助言をくれるものです。
 内部留保を貯め込み過ぎ、労働分配率を顧みない企業や、人を人と思わないような労務管理で、パワハラ、セクハラ、マタハラなどが横行するような雇用主から、人材が流出してしまうのは当然のこととも言えると思います。

 一方で「お金だけで人材を確保できる。」というのも間違いで、「お金だけで確保した人材は、お金で出て行ってしまう。」という言い方もあることを忘れてはなりません。人材が期待するのは「正当な評価」「将来性」もあることを忘れない労務管理が必要な所以です。
 もっとも「ウチは安月給だけど社員を家族同然に思っている。」と言う、人のいい中小企業の社長さんもいらっしゃるのも事実で、そういう風土が好きな人材もいるでしょうが、他方鬱陶しいベタベタ労務管理を標榜されて迷惑と思う若者も増えているように感じます。

 求人サイトに掲載されている「支度金付き求人」の職種を見ると、当然なのかもしれませんが、人材を確保しづらいと言われている職種が目立ちます。その多くは「背に腹はかえられない」ものもあるように思いますが、中には「転職に当たって人材が負担するコストをできる限り減らす。」趣旨のものもあるように思います。

 余り普及していないようにも思いますが、ハローワーク経由での転職では、雇用保険受給中の求職者に限ってですが、「移転費」を国が負担してくれる制度があります。(都市部から地方への就職を希望する雇用保険を受給中の皆さまへ
 結局のところ、転職に伴って(それがマクロの視点で見れば「経済構造の変化によって労働移動が発生し」ということになりそうですが)引っ越ししなければならない場合のコストを、誰が負担するのか(負担すべきか)という論点に落ち着くように思います。
 そして、「求人条件にマッチしないのに面接を受けるよう言われ、遠路はるばる求人企業を訪ねたら、開口一番『貴方の経歴は当社の求人条件を満たしていない』と言われた。交通費を返してほしい。」といった求職者から人材紹介会社への苦情を聞いていると、失業中の人材が面接などに出かける交通費の補助についても、ハローワーク経由の求職活動に限らない制度の創立が求められているのかもしれないという思いが脳裏をかすめます。

 過日一般社団法人日本人材紹介事業協会に設置された医療系紹介協議会では、「求人者に対する適正な紹介行為を阻害するような、医療従事者への金銭の提供は行わない」ことを、ガイドラインのひとつに掲げています。医療機関からの「不適切な就職祝金についての指摘」に、人材紹介業界として応えようとする姿勢です。しかし、冒頭触れましたように、求人広告では、「支度金付き」を掲示している病院やクリニックが散見されるのも事実です。

 「職業紹介は国家独占」が、「官民協力して円滑な労働移動を図る」時代に変わって15年余経過した今日、ハローワークの「移転費補助」のようなことを民間人材紹介業界が制度設計できるかどうか、一定の条件の下ですが民間紹介事業者経由で再就職を実現できて住居移転を伴った場合、雇用保険財政等から何らかの助成ができないものか、と思ったりもします。
 「札ビラで顔を叩いて転職を勧奨する不適切なやり方」の支度金と、「転職にあたって引越しをせざるを得ない人材の費用負担を軽減する目的」の補助制度の峻別は、意外に難しく、「中途採用で人材を確保する」側と「人材が流出してしまう」側では、百八十度見解が異なるのかも知れません。
 雇用側は必要な人材を確保し、人材はより納得できる労働環境を求めて転職する際に住居移転が発生する場合、そのコスト負担は、雇用者、人材、転職あっせん業者の三者間でどのように分担して「三方良し」とするのが適切なのか、あるいは更に別の制度設計ができるのか、時間はかかるかもしれませんが考えなければならない課題だと思います。
                                                            以上

注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)