労働あ・ら・かると
「応召義務」って医師だけなのか? 医師の労働時間を考える
一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二
政府が3月にまとめた「働き方改革実行計画」では、労使間の三六協定による時間外労働の上限を月45時間・年360時間までを原則とし、これに違反した場合、特例を除いて罰則を科すとしています。
ただし、医師に関しては、正当な理由がなければ診察や治療を拒めない医師法の「応召義務」があることなどから、法律の施行から5年間の猶予期間が設けられ、規制の具体的な在り方等について医療界の参加の下で2年後をめどに検討することになりました。こうした方向性は、今年6月9日に閣議決定されたの「経済財政運営と改革の基本方針2017」にも盛り込まれています。
しかしこれらのことが話題に上がっている最中にも、新潟市民病院に研修医として勤務していた当時37歳の医師が昨年1月に自殺したのは長時間の時間外労働が原因だとして、新潟労働基準監督署が労災認定していた報道されました。報道によれば、時間外労働は最大で月251時間に上り、極度の長時間労働で2015年9月ごろにうつ病に罹患したと労働基準監督署は労災認定し、家族は「過労死は殺人だと考えている。」とコメントしたそうです。
そもそも「医師の過労死」が話題に取り上げられるようになったのは、1998年に関西医科大学で当時26歳の研修医が過労死した事件だったと記憶しています。「研修医も労働者」という裁判所の判断が注目を集めましたが、当時筆者は、あの安田講堂事件にまでつながってしまった東大紛争のそもそもの最初は、戦後ずっと続いてきた当時の「インターン制度」への指摘がきっかけだったことを思い出し、「あれから50年も経っているのに、若手医師の働く環境のひどさは変わっていないのか」と驚いた記憶があります。
他にも、1999年8月16日に小児科の勤務医が「少子化と経営効率のはざまで」という遺書を残して自殺した事件も、過労による労災であると認められました。
にもかかわらず、医師職種については「応召義務」があること等をその理由に挙げ、現実に続いている医師の過労死をめぐる長時間労働是正策を5年も先送りするのでしょうか?
応召義務について、改めて医師法をめくり、該当条項を探すと、その第19条に「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」とありましたが、罰則規定はありませんでした。さらにWebで関連事項を調べてみると、昭和24年の厚生省医務局長通知に「医療報酬が不払いであっても、直ちにこれを理由として診療を拒むことはできない。」「診療時間を制限している場合であっても、これを理由として急施を要する患者の診療を拒むことは許されない。」とありましたし、昭和30年には「所謂医師の応召義務について」と題して、「『正当な事由』のある場合とは、医師の不在または病気等により事実上診療が不可能な場合に限られる。」「医師法第19条の義務違反を行った場合には罰則の適用はないが、医師法第7条の『医師としての品位を損するような行為のあったとき』に当たり、同条の規定により医師免許の取り消しまたは停止を命ずる場合もあり得る。」と通知や回答が見つかりました。
しかしやはり、この応召義務があることを理由として常態的な過重労働が認められてしまえば、医療ミスといった事故にも繋がりかねないと思うのは私だけでしょうか?
医師以外の業界・職種においても、どちらかというと「人の好い」人材が、顧客の要望を断り切れなかったり、同僚の欠勤、絶対的な配置人員不足のなかで「他に迷惑をかけられない」と過重労働に陥ってしまう話を聞くと、「要望に応えることを仕事とする人材」の過重労働を防ぐためは「適正人員配置と仕組み」を支える現場の労使関係や遵法精神の大切さこそ思い起こしますが、「応召義務」を掲げてこの医師の過労問題を先送りする理由が理解できません。
本当に人命にかかわる緊急事態(交通機関の中で「お医者様はいらっしゃいませんか?」という放送を聞いて緊迫感を覚えた読者も多いはず)の時の「応召義務」を持ち出さなくても、「職場の仕組み」「必要な人員配置」を検討して今から実施していけることが多々あるはずです。
日本医師会の会員約16万6千人は開業医8万4千人、勤務医は約8万2千人だそうですから、この数字だけを見ると「雇用主と労働者が半々」という見方もできます。もっとも医師会に加入しない医師は約13万人いて、この多くは勤務医と想定されています。(平成26年2月日本医師会 勤務医委員会 答申)
ということは、この件の論議をするのに医師会中心で進めてしまうと、医師会未加入医師13万人の声が反映されない制度になってしまうのではないかと危惧します。
海外で、クレジットカードを持っていないことを理由に、診療を断られたという話を聞くたびに、「日本の医療は、安価で、便利で、高品質で、いい国だな。」と思うものの、こうした日本の医療は自己犠牲的な医師の働きによって維持されてきたに過ぎないのでは、余りにも悲しいと思います。
個々のお医者さんと向き合うと、とても崇高な方が多く、頭が下がる思いをするのに、「会」になったとたんに、その構成の半数を占める「勤務医=被雇用者」に想いを寄せられなくなってしまうように見えてしまうことはとても残念です。
高齢化問題をはじめとして国民の医療にかける期待も増大している中、医療の崩壊が進行する前に、もはや使命感だけでは医療が立ち 行かなくなってきている医師の「働く立場」に想いを馳せた継続可能な勤務体制の構築が求められていると考えます。
(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)