労働あ・ら・かると
リクナビ事件の影響は大きい
就職アナリスト 夏目 孝吉
■20卒の採用活動が終了し、ようやく夏休みとなり、企業の採用担当者や大学の就職担当者がホッとしていた8月上旬、新聞・テレビは、リクナビの内定辞退予測データの販売問題を一斉に報じた。その後、販売商品の問題点と利用していた企業名が順次、明らかにされる中で、政府の個人情報保護委員会が8月26日にリクナビを運営するリクルートキャリア(以下RC社と略)に是正勧告を出し、厚生労働省も9月6日、職業安定法に基づく行政指導を実施した。RC社では、この勧告に先立って同商品を販売中止、大学への謝罪、学生への対応策などを発表した。この問題は、RC社だけでなく、採用活動をしている企業や就活をする学生、大学の就職担当者、就職情報業界やHRテク業界などに大きな衝撃を与えることになった。
◎夢の商品
それにしてもこの商品(RC社はサービスといっている)は、採用担当者にとって夢の商品だった。新卒市場が売り手市場になってから大手企業でも内定辞退が年々増えていた。しかも最近では、採用活動が短期集中になってきただけに大手企業でもピーク時を過ぎると優秀な人材の追補充採用は困難になるので企業にとって内定辞退は深刻な問題となっていた。優秀な人材を採用計画通りに採用できなければ、採用担当者の責任が問われる。それだけに企業は、内定辞退を避けるために念入りな面接や懇親会を繰り返し、入社の意思確認をしてきた。それでも内定辞退は防ぐことができないのが実情だ。それが、AIを駆使して本人の行動予測、関心事が報告され、内定辞退を阻止できるというのだから企業が飛びつかないはずがない。だから価格が4~500万円でも決して高くないという企業が少なくなかった。今回、購入した企業は38社、いずれも学生の就職人気の高い大手企業ばかりだ。この購入先を見てもこの商品の分析結果やアドバイスは、かなり妥当性が高く、説得力があったのがわかる。では、今回の事件が新卒採用の採用活動にどのような影響を与えるのだろうか、企業の採用業務、学生の就活、就職情報業界の対応、という3つの視点から考えてみよう。
◎個人情報の扱いにリスク
まず、企業の採用活動への影響である。最近ではAIを活用した採用支援ツールが急速に普及してきた。だが今回の事件によって企業は、AIが収集、分析する学生の個人情報に不安を持ち始めた。その情報が適切に入手されたものかどうか、本人の同意を得たものかどうか、その情報そのものが信用できるかどうか、ということである。すでに学生たちは、就職サイトの閲覧履歴やエントリー状況、ツイッターでの発言、発言に対する「いいね」の獲得件数などがAIによって収集され、評価されることに気づいている。そのため学生たちのネット上の過剰な活躍ぶりが急増している。そうなれば、ネット上の個人情報はフェイクで空虚なものになる。そんなAIを逆手に取った学生の動きは、AIを核としたHRテクの限界を見せている。また個人情報の取り扱いの厳格化がHRテクを利用する企業を不安にさせている。それを解決するには、本人の同意をどこまで得られるか、委託業者がどこまで信用できるかを精査しなくてはならない。これは、相当に難しい課題である。今回の事件では、個人情報保護法に定める委託の範囲を超えただけでなく内定辞退の可能性という不利益情報を提供するという問題点も含んだためAIによる個人情報収集、分析が危険な採用ツールになりかねないことを示した。そのリスクが購入する企業にとって予測不能のためHRテクの導入は当面、様子見となり、導入が停滞するのではないだろうか。
◎学生は就職サイト不信
9月下旬からは、21卒の学生たちの就活がスタートする。就活を控えた学生の受け止め方はどうだろうか、「まさか、そこまで企業のためにやっていたとは思わなかった」「不安はあったが、同意しなければリクナビに登録できないので仕方ない」といった声が多かった。就職サイトは他にも多くあるといっても学生たちがリクナビに登録せずに就活をするとは思えない。圧倒的に多くの求人企業の情報があり豊富な就活のコンテンツを持っているからだ。リクナビ抜きで就活をする学生はトップ大学のポジテイブな学生を除いてほとんどいない。そのため学生たちは、リクナビを警戒してほかの就職サイトに移ったり紹介型の就活に転じたりすることはない。結局、学生たちは、リクナビのプライバシーポリシーを確認することでリクナビを利用することになるだろう。ただし学生たちの間にはリクナビに限らず就職サイトに不信と不安の気持ちが芽生えたことは確かだ。
◎大学は個人情報の厳重管理へ
その一方、学生の就活を支援する大学はどうか。多くの大学が最も恐れていたことをRC社がしたことに憤っているが、各大学とも表立っては発言していない。大学は、これまで同社の協力や連携をしながら就職支援に取り組んできたからだ。それでも今回の件では、「信頼関係がなくなった。学生を守る立場として、たとえ1件でも問題があれば、学生、父母に安心してもらえないので紹介はできない」と厳しく批判する有名私大もあった。他にも、「リクナビのパンフレットを配布しない」とか「『業界研究』などRC社に依頼していた就職講演会の依頼を止めた」という大学が続出しているのは同社への不信感のあらわれだろう。
◎就職情報業界は大迷惑
今回の事件で最もショックを受けたのはRC社以外の就職情報会社だろう。それぞれ就職サイトを企画運営するだけでなく、日常的に全国各地の大学の就職ガイダンスを手伝い、学生に企業情報を提供している。なかには学生の就職観や就職行動の調査や分析さらには能力、適性テストの実施など学生の個人情報を膨大に蓄積している会社もある。それだけに大学との信頼関係が絶対条件になる。それが学生の個人情報を企業に提供していたとなれば大学との関係は崩壊し、出入りができなくなるのは当然だろう。業界としての対策は、サイトの登録にあたっての記入項目の簡素化、プライバシーポリシーの明確化とともに個人情報の厳守を徹底することで信頼回復をはかるしかないだろう。
▼このように今回の事件は、企業、学生、大学、就職情報業界などに大きな影響を与えることになった。その一方で時代の大きな流れは、IoT社会の到来ということでデータビジネスはますます発展し、そのテクノロジーは高度化する。人事採用におけるAIの活用は、まだ一部分だが、徐々にそして一気に普及するのは確実だ。それだけに今回の事件は、採用活動における採用選考の透明性、個人情報保護、企業倫理の徹底が喫緊の課題であることを示していた。