労働あ・ら・かると
守ろうとするルール、くぐろうとするルール
一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二
仕事がら、職業紹介事業の開業や運営についての相談やご質問にお答えすることが、筆者の日常です。
よくあるご質問のパターンのひとつとして、「このような場合は法的に問題ないだろうか?」というものがあります。筆者は労働基準監督官でも需給調整指導官でもありませんし、弁護士でも裁判官でもありませんので、「行政判断、司法判断がどのようなものになるかの確定的なお答えはできませんが」といった前置きをした上で、現行の法令や通達、過去の行政指導事例などに照らして、類似例の知見を保有していれば、それをご紹介してお答えとすることになりますが、法律などの「ルール」についての様々な方々の考え方を伺っていると、想うところが多々あります。
十何年も前の話ですが、とある外資系企業からの法務担当の求人で、求人要件・労働条件は特に違法な点は見当たらないのですが、採用担当からの説明は「理不尽な規制の多い日本市場で、規制の不備や矛盾点をみつけ、かいくぐって市場開拓できる法理論を立案できる人材が必要。」という説明を受け、困っている人材コンサルタントからの相談を受けたことがあります。その人材コンサルタントは「法規制ギリギリを狙って事業を展開するのは、倫理的にどうなのだろうか?」と考えての相談でした。
意外に思われるかもしれませんが、筆者の助言内容は「求人の希望条件に合致し、労働条件に納得して応募したい人材が得るのであれば、人材の意思を妨げるべきではないし、仲介者の主観的価値観を介在させるべきではない。」というものでした。職業紹介は仲介業なのですから、必要な助言や知見の提供は精一杯すべきですが、違法でない求人活動、求職活動を(極端な言い方をすると)自分の主観的価値観や好き嫌いで遮断すべきではないからです。改正職業安定法が全面施行され、労働関連法令違反を繰り返す求人者からの求人を、ハローワークや民間職業紹介事業者等が不受理とすることができるようになった今でも、「全件受理の原則」は連綿として生きているのですから、今同じ相談を受けても筆者は同じ答えをすると思います。
もちろん適格紹介という考え方が職業安定法第5条の7には明記されているのですが、そのような求人に適合する人材は、なかなか見つからないかもしれません。ただし候補者が見つかったとしても、ご当人が直面する可能性のあるリスクも併せてお話しした上で、最終的には人材自身の選択に委ねるべきなのです。
「ルールは守るためにある」のではなく「ルールの中だったら何をやっても構わない」という発想には、筆者も嫌悪感を抱きます。でも、その嫌悪感が絶対に正しいと思うかどうかは人によって異なりますし、当事者(求人者と求職者)の価値観が優先されるべきなのが「仲介あっせん」の分際だと考えるからです。
やはり十数年前に、アジアのとある国の人材ビジネスの方々を、夕刻に新宿御苑に案内したことがありました。閉園時刻となりチャイムが鳴ると、残っていた入園者達(その多くは日本人)は一斉に門に向かい始めたのですが、その光景を見た外国人の方々の率直な感想は、「日本人は従順ですね。」というものでした。彼の国では、やはり公園などで閉園時刻にチャイムは鳴るのですが、ほとんどの入園者はすぐには帰ろうとはしないそうです。「そうしたらいつまでもその公園が閉まらないので、管理者は困らないのですか?」という筆者の質問には「だから警備員を雇っていて、警備員が巡回して残っている人を追い立てて、はじめて帰り始めます。」という答えが返ってきました。しかも「警備員の人件費がかかるではないですか。」という感想には、「雇用を作り出しているという見方もできます。」という答が返ってきて、ぎゃふん(昭和の死語ですか?)とした記憶があります。
今回のコロナ禍における「自粛」についても、日本人の同調圧力に対する従順性のコメントがいくつかありました。チャイムだけで退出へと自然に行動する国民性の社会と、警備員の巡回叱咤という強制力を必要とする国民性の社会では、おそらく「ルール」の感覚や対処の姿勢が異なるのでしょう。だからこそ日本では「自粛要請」で対策が進み、彼の国では強制的な手法を取らなければならないということなのでしょう。「マスクをしないと罰金刑」が必要な社会は、筆者は窮屈そうで好きではありませんが、日本もだんだん国民性の変化が忍び寄ってきているのでなければいいな、と思います。
「ルール」についての質問は、くぐろうとしているのか、守ろうとしているのか、よく判らないことがほとんどなのですが、よく筆者が投げ返すのが「なぜ、そのルールがあると思いますか?」というものです。ルールの目指すところが一つであるとは限りませんが、「公正に競争するため」「被害者を作らないため」「労働者を保護するため」「経済活動を円滑にするため」「取引の不公平をなくすため」「安心して暮らせる社会のため」など、その法律や通達などの目的に思いを馳せれば、「すべきこと/してはいけないこと」は自ずと明確になってくると思います。
「ルール」についての質問の中には、「守らないとどうなるのですか?」というものも多く聞かれます。「働き方改革」関連法をはじめ最近の法律には、罰金や懲役と言った刑罰ではなく、罰則なしの「規範」を示す制定も多く見られます。刑罰ではないけれど「企業名公表」といった行政による社会的制裁をうたうものも目につきます。
社会をよくするためには「違反者を罰する」だけではなく「模範となるべき行為を表彰する」という手法もよく採用されています。処罰にしても表彰にしても、その基準が恣意的であったり、時の政権の独善であったりしてしまうと、その効果は上がらないことは歴史が物語っていますので、多くの人びとが「ルールの目的」を理解共有して、WITH CORONA の時代に対処していかなければと思います。
「コロナ禍」が進行中です。幸いにして POST CORONA と言える時が到来しても、次の別のウイルスによるパンデミックが起きることに備えた社会を作らなければなりません。そのための「ルール」の検証も始める必要があると思います。
(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)