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労務とかけて車の運転と解く、その心は……

社会保険労務士 川越雄一

雇用関係のことを労務ともいいます。年々法律の規制が厳しくなり「何でこんなことまで…」と思わないではありませんが、車の運転における歩行者との関係に似たところがあります。似ていますのでトラブル防止においても同じようなことがいえるのではないでしょうか。それは何か……。

1.車の運転と労務には3つの共通点
車の運転と労務、一見何の関係もなさそうですが、実は多くの共通点があって、特に次の3つは大きなポイントです。

●任意であること
車の運転は原則として禁止であり、運転をするには国から免許を受ける必要があります。もちろん、免許取得は国から強制されるものではありませんから運転したい人が取得すれば良いのです。人の雇用も同様に、免許は不要ですが事業運営上必要な経営者が雇います。つまりどちらもそれを行うかどうかは任意なのです。
●ほぼ無過失責任であること
車の運転においては、歩行者が飛び出そうが信号無視で横断歩道を渡ろうが撥(は)ねてしまえば、何らかの理由をつけて運転者の責任が問われます。人の雇用も同様に、一旦採用してしまうとダラダラ残業していても賃金は発生し、下手に辞めさせると「不当解雇」扱いされかねません。つまり、どちらも当方に過失がなくても責任を負わされるのです。
●知らなかったは通じないこと
車の運転においては、いろいろな標識やルールに従うことになります。ですから免許取得時に学科試験、更新時に法令講習を受けます。仮にそれらのルールに反していれば交通違反ということになります。人の雇用においても、雇う側は労働関係法を知っていることが前提になります。つまり、どちらもルールを知らなかったは通じないのです。

2.なぜ自動車事故・労務トラブルは起きるのか
昔、自動車学校の先生が「違反は仕方ないが事故は絶対に起こしたらダメ」と言われていたことを思い出します。では、なぜ自動車事故や労務トラブルは起きるのでしょうか。

●自動車事故は認知・判断・操作のミス
運転行動は、「認知・判断・操作」の3要素・手順で成り立っているそうです。「認知」とは、例えば前方の信号が赤に変わったことを認めること、「判断」とは、赤は「止まれ」だから停止しようと考えること、そして 「操作」とは、停止するためにブレーキを踏むことです。通常、運転者はこれらの手順を一瞬のうちに行うわけですが、事故はこれら3要素・手順のどこかで運転者のミスが生じることにより発生します。
●労務トラブルは認識・判断・対応のミス
労務における行動も「認識・判断・対応」の3要素・手順で成り立っています。「認識」とは、現状を客観的に把握することです。信号機なら赤・黄・青と誰が見てもハッキリしているので簡単ですが、労務は感情が絡むので難しいものです。「判断」とは、自社の現状が法律などに照らしてどうなのかということです。そして、「対応」とは、現状と法律などのギャップを埋めることですが、ここで邪魔をするのが「大丈夫だろう」という身びいきな考え方です。労務も自動車の運転同様、3要素・手順のどこかでミスをしているわけですが、それを補うのが危険予知という考え方です。

3.3つのミスを補う危険予知への転換
労務では運転同様、たとえ注意していてもミスは起こります。それを補うのが危険予知としての、「だろう」から「かもしれない」への転換ですが、例えば次のようなことです。

●問題のある人を採用するかもしれない
採用というのは難しいものです。たかだか30分程度の面接で、無過失責任を問われる雇用をするわけで、ほとんど冒険に近いものがあります。ですから、問題のある人を採用するかもしれないという覚悟は必要です。そのようなことを前提にするなら、採用時の労働条件説明なども慎重になるはずです。
●未払いの残業代があるかもしれない
今は下手するとタイムカードが押してあっても「打刻後に仕事をしていた」と訴えられる時代です。ですから、未払いの残業代があるかもしれないということを前提に、タイムカードに毎月「労働時間に間違いありません」の確認サインをさせておくことも考えられます。このようなことをしておけば、理不尽な訴えをされても、ある程度は対抗できます。
●退職理由でもめるかもしれない
退職時は在職中に比べると何倍もトラブルが起きやすくなります。雇用関係のパワーバランス(力関係)がなくなるからです。会社は自己都合退職だろうと思っていても、そう単純な話ではなかったりします。ですから、退職理由は本人の意思によりキチンと退職届に記載してもらいますし、在職中の貸し借りはキチンと清算しておきます。

雇用や車の運転はリスクを伴うから一切行わないということも考えられますが現実的ではありません。それらにはリスクがあることを前提に、危険予知を意識しながら行うことが現実的ではないでしょうか。労務とかけて車の運転と解く、その心は、「だろう」から「かもしれない」への意識転換です。