労働あ・ら・かると
カスタマーハラスメント対処と職業安定法の全件受理義務の原則
一般社団法人 日本人材紹介事業協会 相談室長 岸 健二
〇再来月の4月1日から東京都のカスハラ防止条例が施行されることもあってか、このところ人材紹介事業者の方からの「ハラスメント相談」が増えているように思います。
〇ハラスメント対策の実際の法律改正としては、筆者は一昨年12月の改正旅館業法施行に目を引かれました。
〇旅館業法においては、旅館業者は、公衆衛生や旅行者等の利便性などの観点から、一定の場合を除き、原則として宿泊しようとする者の宿泊を拒んではならないと規定されてきました。しかし、新型コロナウイルス感染症の拡大によって、国民全体へのストレス荷重が背景にあったと筆者は推測するのですが、自己主張を強く繰り返して感染防止対策に協力しない宿泊希望者など、いわゆる迷惑客が増えて旅館側が理不尽な対応を強いられるケースが続発し、他の顧客にも迷惑を及ぼすなど、感染防止対策をはじめ本来提供すべきサービスが提供できないとの訴えが増加して法改正につながったと報道されています。
〇この法改正では、希望者の宿泊を受け入れなければならない原則の例外事由に、カスタマーハラスメント(旅館業法では「特定要求行為」)が加えられました。
〇一方厚生労働省では、カスハラの具体例を示すガイドラインを公表すると共に、労働政策審議会の女性活躍の更なる活躍の推進及び職場におけるハラスメント防止対策の強化についての建議を受け、カスハラ対策を含めたハラスメント防止対策の強化を企業に義務づける法制化の方針を決めたと報じられています。
〇一連のカスハラ対策の動向を注視しつつ、人材紹介事業者からの訴えの相談に応じる際に、筆者の脳裏に大きく浮かぶのが職業安定法の「全件受理義務(第5条の6,同7)」の原則です。同条項は、昭和22年の立法当初は公共職業安定所の義務として定められていた事項が、民間職業紹介に関する法改正の際に、事業の公共性に鑑みて民営職業紹介事業者にも同様に義務付けられたものといえます。
〇ただし、求人者からの申し込みについては、一定の労働関連法違反をするなどの事由に該当する求人者や、暴力団関係者からのものなどを不受理とすることができるといった定めが、この間の法改正で加わってきています。さらに、闇バイト求人のたぐいについては、それが判明すれば職業安定法第63条第2号に規定する公衆道徳上有害な業務等として受理しないルールが徹底されるようになりました。
〇しかし、以前の紹介手数料を踏み倒した求人者からの求人や、具体的に労働関係法令違反での摘発には至っていないものの人材を使い捨てにするような企業からの求人も、字面では不受理とできない規定になっています。(現実には、良識ある人材会社は知恵を絞ってそのような求人者に人材を紹介することはありませんが)
〇そして、頭書の人材紹介事業者からの相談の多くは、求職者からの過度な要求に関するものです。
〇「死ね」「ぶっ殺す」といった脅迫や、侮辱罪、威力業務妨害罪などの刑法犯該当行為については、記録を取った上で弁護士さんに相談し、警察に通報するよう助言しています。しかし、中には「自分の求職を受け付けないのは違法行為」とネット上に拡散されて迷惑を被ったとか、就業時間を過ぎても面談室から退去しない事例、大声で怒鳴り続ける例もあると聞きます。現状は、それでも職業紹介事業者は求職を受理しなければならない規定になっていることに理不尽さを感じるのは筆者だけではないでしょう。ハローワークでも似たような場面を見たことがありますが、法律上は「全件受理義務」の原則を課されていることは同じです。
〇一方、人材紹介業界からのカスハラ訴えで、「それは違いますよ」と筆者がお話しする事例にも一点触れておきたいと思います。
〇それは「カスハラの対応をしていた当社の担当者が精神面で被害を被った。当社は被害者だ。」という主張です。労働政策審議会の議論では、「担当者をカスハラから保護することは雇用主の義務ではないか」という議論がなされているのを見れば分かる通り、そのような事態に陥ってしまうのは、一義的にはその人材会社の労務管理の問題だと言わざるを得ません。
〇また、注意しなければいけないのは、旅館業法改正の際にも「障害者差別につながってはいけない」とされたように、また東京都のカスハラ防止条例前文にも「もっとも顧客等による苦情や意見、要望は、業務の改善や新たな商品又はサービスの開発につながるものであることはいうまでもない。」と明記され、その第五条に「適用上の注意」として「この条例の適用に当たっては、顧客等の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。」と記されている点です。
〇様々な苦情の相談を受けていると、求職者の方の誤解によるものも少なくありません。そのような場合には第三者としてお話を傾聴し、時間をかけて説明することによって、多くの場合は苦情を申立てた方の理解納得が得られて解決に至るのですが、再発防止策としては、「もう少し丁寧に説明をしたり資料をお渡ししたりしていれば、ここまでの紛争にはならなかったのに」と思うことも多くあります。
〇カスハラに見える事象の発生の予防や再発防止策には、「正確な情報と丁寧な説明」が欠かせないと思う所以です。
〇先行している他の業界のカスハラ対策のお話は、前例の旅館業法改正や、他の業界の指針などがとても参考になります。いずれも基本的人権を侵害したり差別につながらないよう腐心していますし、業務改善につながるような正当なクレームを取りこぼすことがないようにとの視点が織り込まれています。
〇カスハラ対策は個々の企業では対処しきれない課題でもありますし、同じ業界内で対処方針に大きな差が生じても利用者の立場から見れば困惑をされるでしょうから、人材紹介業界においても、その公共性を再度確認尊重しながら、最大の職業紹介機能を果たしている公共職業安定所(ハローワーク)と連携するなど、広い視野をもってその対処策が検討実施されることを望みます。
以上
〇(注:この記事は、岸健二個人の責任にて執筆したものであり、人材協を代表した意見でも、公式見解でもありません。)